Storylines of family medicine Ⅹ:多様性、公平性、包摂性のため
目次
多様性の力―なぜ包摂性(inclusivity)が医療の公平性(equity)に重要なのか
・医療における包摂性(inclusivity)の実現は、私たち家庭医、そしてすべての医療専門職が取り組むべき目標である。
・私たちは共に、「多様性・公平性・包摂性(diversity, equity, and inclusion)」を支持しなければならない。
・医療へのアクセスにおける不平等は、健康格差につながる。我々は包摂性(inclusivity)と多様性(diversity)を推進しなければならない。
・包摂性とは、誰もがその人に合った医療サービスを受けられることを意味し、多様性とは、医療従事者が地域社会の構成を反映していることである。これは、健康アウトカムの改善、患者満足度の向上、そして公平な医療制度の確立につながる。
・ただし、それだけで満足してはならない。すべての人々が、その出自やアイデンティティ、社会経済的状況に関係なく、自らのニーズに合った医療サービスを受けられるようにすべきである。多様性と包括性を受け入れるとは、家庭医をはじめとするすべての医療従事者が、患者の個別のニーズを理解し対応する努力を続けることである。意思決定を上から押しつけるのではなく、地域住民の声を事前に取り入れることが不可欠だ。
・私たちは、文化的自己認識(cultural self-awareness)を深め、先入観を乗り越える医師でありたい。医師の姿に対する固定観念を打ち破ろう。患者に対する無意識の偏見を見直そう。そして、医療制度に今なお存在する制度的人種差別(institutional racism)を解体していこう。
多様で包摂的な医療人材の育成
・家庭医療の実践は、チームで取り組むものである。そしてこのチームがより多様な経験や視点を持つ構成員によって成り立ち、同じ目的――すなわち地域の健康改善――を共有しているとき、その力はより大きなものとなる。
・家庭医は、自身のユニークな経験と訓練を活かし、患者や地域社会の健康を増進する。人種、民族、使用言語、障害の有無、社会経済的状況、ジェンダー表現など、さまざまな点で多様化が進む人々に対して、私たちは多岐にわたるケアを、幅広い地理的・臨床的な文脈において提供している。
・しかし、他の医学分野と同様に、家庭医療の人材構成は、患者の多様性と比べると不十分である。このようなギャップは、患者が医療にアクセスしづらくなる、あるいは不十分な医療を受けるというリスクにつながる。さらに、多様な背景を持つ医療従事者は、偏った業務負担や燃え尽き(burnout)を経験しやすく、それがこの意義深い職業から彼らを遠ざけてしまう恐れもある。患者の不参加とスタッフの離脱が重なれば、診療所や組織の財政に悪影響を及ぼし、最も必要とする人々へのサービス提供が困難になる。
・COVID-19のパンデミックや、「Black Lives Matter」「Stop Anti-Asian Hate」「Me Too」などの社会正義運動を受け、制度が包摂性と公平性を促進するよう見直されるべきとの声が、世間から高まっている。そうした制度が、地域社会に対して説明責任を果たすべきだという主張もある。
・学術界の家庭医療分野およびその関連団体もこれに応じ、組織のあらゆる使命において「多様性、公平性、包摂性(diversity, equity, inclusion)」、反人種差別、所属意識などの課題に取り組む委員会やタスクフォースを立ち上げている。しかしながら、家庭医療組織において「これひとつで解決できる」というような万能策は存在しない。
以下に挙げるのは、一人ひとりが日々の業務において心がけるべき基本事項である:
- 多様性と包摂性の責任は、組織内の特定の誰か一人に委ねられるべきものではない。
- 特にリーダーシップの立場にある人は、自らの無意識なバイアスを認識し、それが患者ケアや人材採用にどう影響しているかを省察し、修正する努力をすべきである。
- 包摂性の実現は受け身の過程ではなく、意図的な関与が必要である。リーダーは、今その場にいない人々に目を向け、積極的に招き入れ、意義ある形で関与させる必要がある。観察し、傾聴し、学ぶことが求められる。リーダーでない立場の人々も、声を上げることで重要な役割を果たせる。
- これは「一度きりの対応」で済むことではなく、診療や研修で実施している「継続的質改善(CQI)」と同様に、絶え間ない取り組みであるべきである。多様性目標を「達成済み」として終わりにすべきではない。
- 教育研修活動は有用だが、メンターやロールモデルとなる人材を無理なく見出し、育成することも重要である。
Therapeutic judo―患者ケアにつながる包摂的アプローチ
・「therapeutic judo」とは、支援を必要とする患者とつながるための、普遍的に適用可能な方法である。
・以下にカギ括弧内で示されるエピソードが参考文献内に提示されている。『ある病室に、怒りと不満が渦巻いていた。私に向けられた怒号の中、フエンテス夫人はこう訴えた――前任の医師は夫の状態をしっかり診てくれなかった、病状は悪化し、痛みに苦しんでいるのに、診断もついていない、と。私は彼女の怒り、不安、恐怖を感じ取り、まず謝罪した。そして、私に何を期待しているのかを尋ねた。私は、できる限り彼女の要望に応えるつもりだと伝えた。彼女が自分の希望を語るにつれ、室内に漂っていた緊張感は少しずつ和らいでいった。その後の数日間、病室の温度は時折高まることがあったものの、私が夫のケアを続けるうちに、フエンテス夫人も、私たちが彼らのニーズに寄り添う同盟者であることを理解するようになった。』。
・家庭医療においては、他のプライマリ・ケア分野と同様に、医師が自らを“薬”として用いる――その「投与量」「頻度」「投与経路」を、患者との関係の中で経験的に調整しながら処方していくという技術が存在する。
・この“薬”は、関係性が円滑で心地よいものであれば、患者も進んで受け入れてくれる。だが、患者が「扱いづらい」「分かりにくい」「満足しない」「従わない」「対立的」などと感じられるような存在であるとき、家庭医は、そのような困難を乗り越える技術を学ばなければならない。
・苛立ちの兆候に気づき、それに好奇心を持ち、深く掘り下げて共通点を見出し、患者の状況に対してどのように自らを応用すればよいかを判断するのである。
・このような関係構築を促す技法として、「Therapeutic judo」という概念が参考文献において提唱されている。これは、患者自身の考えや目標を活かしながら、双方にとって受け入れ可能な結末に導く手法である。
・Therapeutic judoは、まず「一礼」から始まる。患者の持つ本来的な価値と尊厳への敬意を表す儀礼的な認識である。続いて、数分間の「深い傾聴(deep listening)」を行う。その後、状況に応じて、さまざまな治療的行動を加えていく。
・たとえば・・・・
・優しい言葉をかける
・涙を拭うティッシュを差し出す
・励ましのために肩に触れる
・母語で話しかける
・文化的に配慮されたしぐさをする
・苦痛を言葉にして認める
・沈黙を共有する
・向かい合って対立するのではなく、隣に並んで寄り添う
・もし、こうした行動が利己的または不純な動機に基づいて行われれば、それは操作的・欺瞞的と受け取られかねない。あらゆる薬と同様に、用量や投与経路を間違えば、副作用や有害事象が起こり得る。しかし、共感・優しさ・理解を伴って誠実に実践されるならば、それは患者と医師の両者の心を癒す「軟膏(salve)」となる。そして、この信頼が、医師–患者関係の土台をさらに強くする。
・Therapeutic judoは、年齢や経済状態、教育歴、医学的知識の有無、出身、信仰の違いなどにかかわらず、すべての患者に適用できる。これは、私たちと患者の間にある「越えがたい溝」に橋をかけ、私たちの「共通の人間性」に立ち返るための技法なのである。
Global family medicine―世界を”逆さま”に見る
・Global family medicineを実践することは、単に海外で活動することではない。それは、世界を新たな視点から見つめ、支援を必要とする人々と連帯し、自らも学ぶことを意味する。
・この分野は、多くの主題を包含している。たとえば、家庭医療をプライマリ・ケアの基盤として位置づけ、その重要性を国内外の医療従事者に教育すること。資源の乏しい環境で家庭医療研修プログラムを立ち上げ、公平な医療の提供を保障すること。そして、家庭医療を世界各国の保健医療システムに欠かせない要素として確立することなどである。
・哲学的観点から言えば、Global family medicineは、生物医学モデルに限定されることなく、世界中の人々の健康をその複雑性も含めて捉える視座である。この視点は、経済的貧困や社会的周縁化といった負担を不当に背負わされている人々のニーズを最優先に位置づける。これらの構造的困難は、富裕層や権力者を優遇する政治的・経済的体制によって生み出されている。
・アメリカや他の経済的に豊かな国の医師にとって、グローバル家庭医療とは、断片化の進む専門文化に閉じこもるのではなく、プライマリ・ケア、地域保健、社会的責任、そして普遍的医療保障(universal healthcare)といった基本原則に目を向け直すことである。
・それは、「アクセス」「公平性」「妥当性」といった概念が、医療資源の乏しい地域で健康アウトカムを改善する上でいかに不可欠かを理解することでもある。
・Global family medicineとは、世界を従来の常識とは異なる方向から、“逆さまに”見るという思考実験でもある。これは、患者中心・人間中心の臨床を実践する熟練の医師が、自分の職場がどこであれ、常に心がけている姿勢でもある。この実践の目的は、医療の構造や提供のされ方における文化的な差異を理解し、生物学的要因にとどまらず、病気の現れ方や改善に影響する非生物学的因子を重視することである。医療ニーズが最も高い場所――たとえば不利な社会的決定要因に最も晒された場所――で診療を行うことこそが、求められる実践なのである。
・Global family medicineは、プライマリ・ケアの基本理念に立脚し、以下の5つの態度を涵養するよう、実践者に促す:
①Awareness(気づき):
人々が生き、働き、遊ぶコミュニティの歴史的、社会的、文化的、政治的、経済的文脈に目と耳と心を開くこと。
②Curiosity(好奇心)
患者や地域社会の課題に対し、「人類学的まなざし(anthropological gaze)」をもって探究心を持ち続けること。異文化的な環境に身を置いたときに鋭くなる感覚を活かし、誠実で現実的、かつ包括的に、上流要因(upstream causes)が健康にどう影響するかを見極めること。
③Humility(謙虚さ)
自らの無意識的な態度(たとえば、支配欲、感謝されたいという欲求、「自分たちが持っているものを他人も欲しがるはずだ」という思い込み)が、異文化・異地域での対人関係にどう影響するかを自覚しながら関わること。
④Meaning(意味)
患者・家族・地域社会の「ために」働くだけでなく、「ともに」働く姿勢を大切にすること。「連帯(solidarity)」という言葉の本質を理解し、不平等の根源にある構造的要因に気づき、それらの改善を妨げる構造的障壁を認識すること。
⑤Intention(意志)
Global family medicineの実践と探求を通じて、自らも変化し、学び続けること。真の学びとは、人生の何らかの側面における明確な変化を受け入れることを意味する。
逆さまケアの法則(The inverse care law)
・「医療的ニーズが最も高い人々にこそ、良質な医療が最も届きにくい」という現象――これを「逆さまケアの法則(inverse care law)」と呼ぶ。とりわけ、市場原理が医療提供のあり方に影響を及ぼす場面で、この法則は最も顕著に見られる。
・「逆さまケアの法則」という用語は1971年に提唱された。それは、社会的に不利な立場にある集団ほど、より多くの医療を必要とするにもかかわらず、実際には少ない医療しか受けられないという観察から出発している。
・死亡率や罹患率を左右する主因は必ずしも医療サービスそのものではないが、医療資源の分配状況は健康の決定因子の一つであり、健康格差の重要な要素である。必要とされる場所に良質な医療が届かなければ、健康格差は必然的に広がってしまう。
・家庭医療や総合診療の文脈においても、資源の配分がニーズに見合っているとは言いがたい。研究によれば、社会的に困難な地域ほど医療ニーズは高いにもかかわらず、そうした地域には平均して一般医(GP)の数が少なく、担当患者数が多く、負担も大きい。つまり、医師1人あたりにかかる仕事量が重くなるため、複雑な健康・社会的問題に対応する十分な時間が取れないという構造が存在している。
・この格差は「良質な医療が提供されている地域とそうでない地域」という単純な問題ではなく、「最も困難な地域で、本来できるはずのことが、実際にはできていない」という問題なのである。
・この法則の本質は、単なる家庭医の人数や資金の問題にとどまらない。医療サービスの「存在」は、アクセスの一側面にすぎない。社会経済的に不利な人々、あるいはその他の形で周縁化された人々は、共同意思決定(shared decision-making)への期待が低く、健康リテラシーも限られており、医療・福祉制度の複雑さに対応する力も制限されていることが多い。
健康の社会的決定要因(SDH)という視点
・患者と地域のケアに携わるには、家庭医が自らの視野を広げ、社会的文脈の中で人々を捉える姿勢が不可欠である。
・「健康の社会的決定要因(social determinants of health, SDoH)」は、個人および地域社会の幸福度に影響を与える問題としても把握されつつある。たとえば、安全な交通手段と住居、健康的な食物へのアクセス、言語能力、教育や就労機会、暴力への曝露などである。臨床の現場では、こうした社会的要因が患者の健康にどう影響しているかを評価するスクリーニングツールを活用し、リスクの軽減につなげることが可能である。
・研究によれば、個人の健康や病気のリスクのおよそ60%が、こうした社会的要因によって決まるとも言われている。そのため、医療界ではこうした「上流要因(upstream causes)」に対応する取り組みが広がりつつある。たとえば、コミュニティ・ヘルスワーカー、非緊急医療交通サービス、医療と法的支援の連携、食料支援活動などを診療の枠組みに取り込む努力がなされている。
・しかしながら、SDoHとは単に「カテゴリー化された社会的因子」を超えたものである。SDoHの視点を持って診療にあたることで、家庭医や他の臨床家は、生物医学的トレーニングでは見過ごしがちな複雑性を考慮できるようになる。これを思慮深く、かつ共感をもって行うことにより、医師は患者の実像をより深く理解できるようになる。そして患者にとって何が最も重要なのか、医学や社会に何を求めているのかを把握する助けとなる。
・たとえば、SDoHの視点で患者を見るということは、単にHbA1cの上昇を「糖尿病の指標」として捉えるのではなく、その人がどんな食品にアクセスできるか、インスリンをどのように保管しているか、薬を買うお金があるか、健康的な食品を扱う店がどれほど近くにあるかといったことまで想像することである。
・SDoHに配慮するとは、聴診器で心音を聴くだけでなく、自分自身の心も開いて、患者の語る物語に耳を傾けることである。これらの物語の一部は、現病歴の項目にはうまく収まらないかもしれないが、症状の受け止め方や医師の助言の聴き方に大きく影響を与える。患者の話に深く耳を傾けることは、医師が患者と協働してケアを行うための、重要な学びとなる。
・結局のところ、SDoHの視点を持つとは、個々の患者と関わりながら、その人がどんな世界で育ち、どんな世界で今を生きているのかを理解しようとすることにほかならない。そこには、人種差別や疎外、喪失の物語があるかもしれない。一方で、希望や楽観、可能性の物語もあるだろう。患者にとって大切な人々を巻き込み、古い傷を癒しながら新しいレジリエンス(回復力)を育む――それが、SDoHの視点を活かすということである。
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<参考文献>
・Ventres WB, Stone LA, Bryant WW Jr, Pacheco MF, Figueroa E, Chu FN, Prasad S, Blane DN, Razon N, Mishori R, Ferrer RL, Kneese GS. Storylines of family medicine X: standing up for diversity, equity and inclusion. Fam Med Community Health. 2024 Apr 12;12(Suppl 3):e002828. doi: 10.1136/fmch-2024-002828. PMID: 38609082; PMCID: PMC11029210.