Storylines of family medicine Ⅸ:多様な人々とケアの場所
目次
LTBTQIA+と家庭医療
・臨床判断を高めるためには、性の多様性とジェンダーについての理解を広げる必要がある。
・米国では、自身をLGBTQIA+(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、クィア、インターセックス、アセクシュアル、その他の性的・ジェンダー的マイノリティ)と認識する人々が増加している。米国成人の約6%がLGBTQIA+と自認しており、Z世代の成人では6人に1人がこのコミュニティに属するとしている。また、トランスジェンダーと認識する人の数も増えている。
・LGBTQIA+コミュニティのメンバーは、人種、民族、宗教、年齢、社会経済的背景を問わず存在しており、性的およびジェンダー的マイノリティの健康ニーズは家庭医療の全領域に及ぶ。
・家庭医は必ずしも患者の性的指向や性自認を把握しているとは限らないが、ときに家庭医はLGBTQIA+の患者の診療に関わることは事実である。
・「性的指向(sexual orientation)」とは、他者に対して抱く情緒的・性的な惹かれ方を指す。性的指向は、同性愛(例:同性への惹かれ)から異性愛(例:異性への惹かれ)まで幅広く存在し、ジェンダー・アイデンティティや惹かれる性・ジェンダーの組み合わせによって変化することもある。
・「ジェンダー・アイデンティティ(gender identity)」は、身体的特徴にかかわらず、自身がどのような性であると内面的に認識しているかを指すものであり、「ジェンダー・エクスプレッション(gender expression)」、すなわち服装、話し方、しぐさなどを通じて社会に示される性とは区別される。ジェンダー・アイデンティティが出生時に割り当てられた性別と一致しない場合、その人はトランスジェンダーあるいはノンバイナリーと自認することがある。
・社会において多様な患者集団に対する受容が進んできている一方で、LGBTQIA+の人々は今なおスティグマや偏見に直面している。こうした社会的要因は、性感染症、薬物使用、精神疾患、肥満、特定のがんの発症率の上昇といった健康格差へとつながっている。とりわけ、マイノリティの中でその傾向が強い。
・LGBTQIA+の患者に高品質かつ文化的に適切な医療を提供するためには、我々家庭医が知識と理解を深め続けることが不可欠である。
・性的指向やジェンダー・アイデンティティについての基本的な理解を持つことはもちろん、LGBTQIA+の患者が直面する医療上のリスクを把握することが重要である。これにより、我々の臨床判断や患者ニーズへの対応力は大きく高まる。
・また、家庭医は、患者を取り巻く人間関係や構造的な要因を理解する必要がある。性的指向やジェンダー・アイデンティティの多様なあり方とその表出を理解することは、LGBTQIA+の人々とより良好な治療関係を築く上で有用である。
・これは、思い込みを避け、文化的な違いに開かれ、文化的共感を持ち、包括的な職場環境をつくることにもつながる。LGBTQIA+の人々の固有の健康ニーズと経験は、それだけの尊重に値する。
物質使用障害に対する家庭医療学的アプローチ
・物質使用障害(substance use disorders)に苦しむ患者とともに歩むうえで、家庭医は極めて重要な役割を担っている。
・物質使用は、すべての年齢層・背景・社会経済的地位の人々に影響を及ぼす重大な公衆衛生問題であり続けている。社会が物質使用の壊滅的な影響と向き合う中で、この問題に対処するためには、包括的かつ全人的なアプローチが必要であることが明らかとなっている。
・家庭医療は、あらゆる年齢層の個人に包括的な医療を提供すると同時に、健康や病が家庭単位に及ぼす影響をも考慮する全人的アプローチを重視する。
・物質使用は、原因も結果も多面的で複雑な問題であり、やはり包括的な視点が求められる。
・家庭医は、患者との関係性に基づいて家族力学を把握しやすい立場にあり、それが物質使用の促進因子や抑制因子としてどのように働いているかを評価できる。こうした文脈を理解することで、より効果的な介入や支援体制の構築が可能になる。
・家庭医療の大きな利点の一つは、物質使用の初期兆候を早期に察知し、介入できる点にある。家庭医は微細なサインを見逃さず、詳細なアセスメントを行う訓練を受けている。
・このような専門性により、リスクのある人や物質使用初期の段階にある人を早期に発見し、適切な介入を行うことができる。早期介入は治療成功の可能性を高め、長期的な健康被害を軽減する。
・物質使用障害に苦しむ患者を支援するうえで、協働的かつ支援的な関係性の構築が鍵となる。家庭医は、患者が自身の物質使用について”安心”して語れるような、”非判断的な環境”を提供する。
・このような治療同盟(treatment alliance)により、患者のニーズや治療に対する希望を的確に把握することが可能となる。患者を意思決定のプロセスに参加させることで、より受け入れられやすく、実行可能な治療計画を立てることができる。このような関係性は、治療の順守を促し、また再発や非順守の時期にも伴走できる力となる。
・家庭医療の現場において、薬物療法の活用は徐々に浸透しているものの、物質使用の問題には、依然として多職種によるアプローチが求められる。家庭医はこの調整役として重要な存在である。
・依存症専門医、メンタルヘルスの専門家、カウンセラー、ソーシャルワーカーなどと連携し、包括的な治療計画を構築する。家庭医は、これらの専門職の間における効果的なコミュニケーションを促進する「接着剤」として機能する。
ホームレス状態の人々に対するShameless medicine(恥のない医療)
・ホームレス状態にある人々との診療には、彼らが人生の中で繰り返し受けてきた否定的な体験が影を落としており、特有の困難が伴う。
・彼らに適切なケアを届けるためには、「彼らを救う」ことを目的とする姿勢ではなく、彼らのいる場所に身を寄せ、彼らの自律性・主体性・関係性に敬意を払う必要がある。
・また、臨床という場における対話においても、患者の価値観と意思を中心に据える「Shameless Medicine(恥のない医療)」という考え方が必要となる。
・臨床医の仕事とは、患者の価値観を理解し、それらが健康上の課題によって損なわれないようにすることである。
・その際に最も大切なのは、恥を感じさせないような関係性の構築である。
・患者が薬物を使用していても、ジャンクフードを好んでいても、それが治療関係を損なってはならない。我々の目的は、そうした現実を前提としたうえで、どうすれば医療システムを患者のためにより良く機能させられるかを考えることにある。
・ホームレス状態の患者の生活には、失敗や裏切りを含む多くの不安定な人間関係が存在している。そのなかで、医師と患者の関係性は、「失敗することができない関係」として成立しなければならない。
・このように、患者のニーズは、医師の専門性の追求と矛盾しないことを確認する。そして、意見が異なることはあっても、それを前提として関係性を維持する(例: 「あなたが元気になるために役立ちそうな行動にはどんなものがあると思いますか?」)。
・患者が我々と共に取り組むことで成功できると感じられるように、我々は診療の場を設計するべきである。たとえある介入が上手くいかなくても、それは患者の責任ではない。むしろ、患者が抱える「恥」を我々が引き受けながら、彼らの自己効力感を取り戻すよう支援していくことが重要である。
・ホームレス状態にある人々は、短期的な利益を「良いこと」として捉える傾向がある。そうした行動パターンの中でも、我々が一貫した態度と支援を示し続けることで、信頼関係を構築できる。「我々が何をするか」「患者が我々に何を期待できるか」という明確な枠組みが、信頼の基盤を築く。
・医師の役割は、ケアを「医師の判断」ではなく、「患者が望むゴール」に即して再定義することである。診療の目的について患者と合意形成を図ることが重要であり、「患者が我々に望むこと」と「我々ができること」をすり合わせる作業が求められる。
・ホームレス状態の人々の多くは、「自分は何をやってもダメだ」という感覚に苛まれている。その多くが、幼少期から「お前はダメだ」「何もできない」といった否定的な言葉を浴びせられてきた経験を持っている。
・このような自己否定の語りに対して、「誰でも間違いはする。それが人間というものだ」という視点で関わっていくことが必要である。
・ホームレスを含む社会的に脆弱な立場にある患者が、自らの人間らしさを再確認できたとき、彼らは他者との関係性のなかでより正直で誠実な存在となる。医療者の役割は、そのような誠実な関係性を支え、日々の生活における小さな成功を積み重ねられるよう支援し、患者自身が「自分にとってうまくいくもの」を見出せるよう伴走することにある。
困難な診療(difficult encounters)-患者の背後にある人間性を見出す
・「困難な患者」とうまく関わるためには、彼らの物語に耳を傾けることが必要である。それぞれの人間が経験してきた人生はすべて異なっており、その表現に私たち自身がどう反応しているのかを見つめ直すこともまた、重要である。
・臨床医学は創造的で楽しく、しばしば深い意味と感動に満ちた営みである。しかしその空間には、医師に「重たい気持ち」や「嫌な予感」を抱かせるような患者も存在する。
・すべての医師が、「困難な患者」に向き合うことがある。身体的・心理的なストレスが重なる状況においては、そのような患者はむしろありふれた存在でもある。
・問題なのは、多くの「困難な患者」を抱えていると感じる医師は、燃え尽き症候群(burnout)に陥りやすくなるという点である。この状況を改善することは、臨床医としての充実感を維持するうえでも不可欠である。
・経験豊富な医師たちは、「困難な患者」に対しても、協働的に関わり、権限の適切な行使を通して関係性を築き、共感をもって接する術を身につけている。そういった医師は対立的な姿勢を取ったり、権力を濫用したり、共感疲労に屈したりしない。その実践の根幹にあるのが、「患者中心のケア」と「自己省察」である。
・第一に重要なのは、患者がどのような存在かを理解しようとする姿勢である。その人の物語(stories)に耳を傾け、病歴を丹念に集めることは、Contextの理解に欠かせない。優れた医学の実践とは、常にCcntextに根差したものである。
・家庭医はエビデンスに基づく診療の原則を重んじるべきであるが、それは個々の患者の状況に即して適用されるべきである。患者をより深く理解しようとするとき、我々は彼らのユニークなニーズだけでなく、強み・資質・持ち合わせているリソースについても学ぶことができる。患者が愛する人・愛されている人、ペットとの関係性など、患者が人生において大切にしているものを知ることが重要である。
・この視点を診療に組み込むことで、知識と技術の応用はより洗練され、受容されやすく、かつ効果的になる。同時に、医師―患者関係もより楽しく、やりがいのあるものへと変わっていく。
・診療における「私」の存在のあり方についても吟味する必要がある。これは、平静さ(equanimity)の姿勢を養い、マインドフルネスの要素を取り入れることに通じる。マインドフルな実践(mindful practice)とは、日常の細部に気づき、患者と同様に自分自身にも注意を向け、好奇心を持ち、不確実性を歓迎する態度を意味する。
・家庭医は、自らの思惑や前提を見つめ直し、なぜその患者を「困難」と感じているのかを振り返る必要がある。また、患者との専門的関係において、どのようなバイアスを持ち込んでいるのかについても探究しなければならない。
・構造化された「BREATHE OUT」アプローチを用いることで、家庭医は困難な診療によりよく対処できる。この「BREATHE OUT」は、困難さを感じる患者との診療において、自らの姿勢と感情を丁寧に整えるための、短く実践的なセルフチェックである。前半(BREATHE)は診察に入る前の心構えを、後半(OUT)は診察後の内省を促す構成になっており、特に家庭医療の文脈で有用とされています。
・診察室に入る前には、“BREATHE”に関する質問を自問し、ゆっくりと3回呼吸を整える。診察後は、すぐに次の作業に移る前に、“OUT”に関する問いに答える。
・これらのプロンプトは数分で済むものであるが、「心が重くなる患者」との診療に対する医師の満足度を向上させる効果があることが示されている。
BREATHE:診察前に問うべき問い
- Begin again(あらためて向き合おう)
この患者を、先入観なく新たな気持ちで迎え入れられるだろうか?
- Recognize your own reaction(自分の反応を認識しよう)
この患者を前にしたとき、自分はどんな感情・反応を抱いているか?
- Envision the person(その人の全体像を思い描こう)
この患者を“人”として捉えるとしたら、どんな背景や物語があるだろうか?
- Accept your responsibility(自分の責任を受け入れよう)
自分はこの場で何を担っているのか?どう関与すべきか?
- Tune in(感覚を研ぎ澄ませよう)
患者と自分自身の間にある“今・ここ”の空気に注意を向けよう。
- Hear the patient(患者の声に耳を傾けよう)
この人は何を伝えようとしているのか、じっくりと聴こう。
- Engage(関わろう)
診察に誠実に向き合い、自分がそこにいる理由を再確認しよう。
OUT:診察後に振り返る問い
- Observe what happened(何が起きたかを観察しよう)
この診察では何が共有されたか?どんなやりとりがあったか?
- Understand your response(自分の反応を理解しよう)
自分はどう感じたか?何に心を動かされたか?
- Take a moment(ひと息つこう)
次の診療に移る前に、少し立ち止まり、気持ちを整えよう。
医学的に説明のつかない症状(MUS)を抱える患者への対応
・参考文献では次のカギ括弧内の内容がまず紹介されている。『ある68歳の女性が、頸椎神経根症、関節痛、大腸炎、うつ、不安などを訴えて家庭医療のクリニックを訪れた。その日、彼女を診察する予定だったのは、家庭医療の2年目のレジデントであり、我々はその指導にあたっていた。診察前のミーティング(pre-visit huddle)で、レジデントは「自分の治療が本当に有効なのか自信がない」「正確な診断に至っていないように思う」と不安を口にした。我々は彼女に「まずは患者の物語をもっと集めてみてください。“物語こそが病理”ということもあるのです」と伝えた。レジデントがただじっくりと話を聴いただけで、患者の語る内容には以下のような深刻な背景が含まれていた。「故人である夫から長年にわたり虐待を受けていた」「夫が自分たちの娘を性的に虐待していたと強く疑っている」「その娘との関係は今では断絶している」「人生の後半でようやく夫から離れようと決意したが、その直後に夫の死に至る看取りを担うこととなった」「現在は重い借金と社会的孤立を抱え、支えになるような人間関係はすべて消えた」。このような患者の物語は、MUS(医学的に説明のつかない症状)を抱える多くの患者に共通して見られるものである。たとえそのトラウマが症状の「直接の原因」でないにせよ、それが症状を悪化させていることは明らかだった。
・MUSという語は、しばしば心身症(psychosomatics)や詐病(malingering)、ヒステリーなどと同義に扱われることがある。
・しかし、現在では生物・心理・社会的医療の重要性が広く認識され、慢性的ストレスと炎症性疾患との関連性も神経科学により裏づけられつつある。
・それにもかかわらず、MUSの患者はしばしば、臨床の現場で無視されたり、苛立ちとともに対応されたりしてしまう。
・その主な理由は、彼らの症状が純粋な生物医学モデルにおさまらないためである。
・多くの医師は、こうした患者を前にすると「どう扱えばいいのか分からない」と感じる。だが重要な原則がある——「物語が病理であるなら、傾聴が介入となる」。
・前述のレジデントは、ただ注意深く20分間傾聴しただけで、これまでの複数回の受診で行ってきた診断や専門医への紹介以上に、患者に貢献できたと感じた。その過程で、レジデントは以下の2つの重要な臨床的成果を得ることができた:
- 真のトラウマインフォームド・ケア(trauma-informed care)に必要な、信頼関係と安心感の土台を築き始めたこと
- 身体症状と感情的・社会的な経験が密接に結びついていることを患者自身が理解するよう促し、新たな文脈のもとで症状を捉え直すきっかけを提供したこと
・MUSの患者と関わるには、忍耐が必要である。前述のレジデントが得た最大の学びは、「治療的介入とは、医学そのものではなく、治療者としての“私”である」ということだった。
・深く傾聴することは、患者と医師の双方にとって、「ここにいること自体が意味を持つ」ことを実感させ、「話してくれてありがとう」という一言が、唯一有効な介入となることすらある。
処置/手技と家庭医
・日常診療に手技を取り入れることは、医師の職業的満足度に良い影響を与えることが研究で示されている。
・手技を行う医師は、より高い仕事に関する満足度を得ており、燃え尽き症候群の発生率も低い。
・手技は、医師のウェルビーイングとキャリアの持続性を支える一助となるのである。
・さらに、家庭医が提供するサービスが多岐にわたるほど、患者の医療費は低くなり、入院も少なくて済む傾向にある。専門医の診察までに平均で1か月近く待たされ、救急外来はひっ迫している現状を考えると、プライマリ・ケアの場でより多くの処置を提供できるようにすることが、効率性と満足度の双方に寄与するのは明らかである。
強靭な地域の家庭医療(Robust rural family medicine)
・地域社会には、住民の健康と福祉を脅かす重大な課題が山積している。家庭医は、そうした地域における不可欠な存在であり、そこに暮らすすべての人々の生活をより良くするための適任者でもある。
・家庭医は地域社会に根ざした医療を構築するための「核」となるべき存在である。つまり、家庭医療は、専門医療や病院医療の「付属品」としてではなく、真に機能する医療システムの「根幹」として位置づけられるべきなのである。
・強靭な地域家庭医療(Robust rural family medicine)は次のような特徴を備えている:
- バイオメディカル中心の狭い視点に偏らず、患者・家族・地域全体に焦点を当てた、社会的責任に基づく医療を提供する
- 都市の中心部にある巨大医療機関ではなく、地域に根ざした、アクセス可能な診療を実践する
- 知識の共有と、財政・教育・技術資源の公平な配分を重視する
- 「臨床的勇気(clinical courage)」を持ち、訓練を活かして可能な限り幅広い医療を提供することに挑戦する
・もちろん、地理的孤立や移動手段の不足、慢性的な貧困、資源の欠如、人材不足など、多くの障壁が存在する。それでも、地域の医療施設——コミュニティ病院や診療所——は、しばしば地域活性化の原動力となる。そうした施設は、他の社会的・教育的・医療的サービスを呼び寄せ、経済成長にも寄与する。
・地域の人々のニーズに応えるためには、発想の転換が求められる。
・地域診療所は、都市部の専門医療機関に患者を送り込む「入り口」ではなく、それ自体が「卓越性の中心」として評価・支援されるべきである。
・家庭医と都市部の医療機関が対等なパートナーとして連携し、専門医とのコンサルテーション体制を築くことで、地域でも包括的かつ最新の医療が提供可能となる。
・こうした連携は、家庭医が世代を超えて包括的なケアを提供する力を高め、地方に住む人々のニーズに応える医療体制の土台をつくる。それは、都市中心の医療構造の中で見過ごされがちな地域社会に対して、責任感と希望をもたらすものとなる。
フルスペクトラムな家庭医療(Full-spectrum family medicine)
・「full-spectrum)」という言葉には、文脈によってさまざまな意味が込められている。それでもこの言葉は家庭医療という分野の根幹にある特徴である。
・「フルスペクトラム」という語は、しばしば理想主義的な響きを伴って使われる。
・たとえば、以下のような医師像を指すことが多い:
・妊娠・分娩・出産(含む手術的産科医療)を担う
・入院患者を診る病棟主治医としての役割を持つ
・さまざまな処置技術を習得・実施している
・しかし、これらは一つの定義に過ぎない。実際には、「フルスペクトラム」とは、「医療のスペクトラム」そのものである。
・医学部を卒業したばかりの初期研修医やレジデントたちは、病気を「評価・診断・治療すべき病理」として捉える枠組みを受け継いでいる。
・その背景には、基礎医学を重視し、三次医療機関での専門診療に偏った臨床教育がある。さらに、医学生の間には、家庭医療やプライマリ・ケアを暗に蔑視する「隠れたカリキュラム(Hidden curriculum)」が今なお根強く残っている。
・家庭医は、こうした医療モデルとは異なる視点を長く持ち続けてきた。もちろん、診断や治療の技術は家庭医も用いる。しかし、家庭医療は患者を「診断を下す対象」ではなく、「生活し、働き、関係性の中で生きている個人」として捉える視点を大切にしてきた。
・患者の人生や病は、信仰、ジェンダー、階級、家族関係といった複雑な要素により形づくられている。
・このような視点から見えてくるのが「全人的ケア(whole-person care)」である。それは、心理的・社会的・生物学的・実存的なニーズが複雑に絡み合って現れる症状や困りごとに対して、人間としての患者をまるごと支える医療である。
・ここにおける「フルスペクトラム」とは、ありとあらゆるニーズに対応しようとする実践であり、そのすべてにおいて「人」を第一に考える診療を意味している。
・重要なのは、「フルスペクトラム」は家庭医療の「スタイル」ではないということだ。また、それがすべての家庭医にとって同じ形で表れるわけでもない。地域資源や地理的条件、患者ニーズなどによって、家庭医療の実践形態は変化する。
・それでも、「新たな技術を学ぼうとする意欲」「求められる診療領域を広げようとする態度」「それを後進に伝える姿勢」——こうした志を持つことが、家庭医としての職業的アイデンティティの中心にある。
・つまり、「フルスペクトラムの家庭医療」とは、なぜ私たちが家庭医として存在しているのか、その核心なのである。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
<参考文献>
・Ventres WB, Stone LA, Abou-Arab ER, Meza J, Buck DS, Crowder JW, Edgoose JYC, Brown A, Plumb EJ, Norris AK, Allen JJ, Giammar LE, Wood JE, Dickson SM, Brown GA. Storylines of family medicine IX: people and places-diverse populations and locations of care. Fam Med Community Health. 2024 Apr 12;12(Suppl 3):e002826. doi: 10.1136/fmch-2024-002826. PMID: 38609086; PMCID: PMC11029404.