Storylines of family medicine Ⅳ:実践の視点:レンズ
目次
医師と患者のパートナーシップ
・医療専門職は、「盲点」「無関心」「防衛的態度」というベールを取り払い、コミュニケーションや医療上の意思決定において差別を生む偏見、思い込み、行動を省察しなければならない。
・医師と患者による癒しのパートナーシップ(Healing partnership)は、敬意に基づいた関与と、思いやりある患者中心のケアが織りなす神聖な関係性の営みである。この関係性は、特に文化的な境界を越えて働く際に重要性を増す。
・多くのマイノリティの患者は、健康格差や不正義による身体的・精神的負担を背負い、信頼構築の障壁を歴史的に抱えている。文化を越えた実践を行う賢明な家庭医は、「医師―患者間の力の不均衡を患者中心の面接やケアを通して是正する」ことを認識し、実践する。
・では、このプロセスをどう学ぶのか。
・まずは「自分の内面を見る」ことから始める。現実的かつ継続的な自己評価を通して自己を省みること、そして生涯にわたる学習プロセスへのコミットメントが不可欠である。
・また、「ステレオタイプがもたらす偽りの安心感を手放す柔軟性と謙虚さ」が必要だ。自らの多面的な文化的背景、偏見、ステレオタイプを探究するとともに、他者の嗜好や価値観を尊重することが求められる。慎重で誠実かつ現実的な「内なる謙虚さ」を育むことこそが、他者とのパートナーシップ構築の出発点である。
・「好奇心(Curiosity)」は、特に不確実さや困難を伴う臨床現場において、職業人生を通じて育てる価値ある資質である。不均衡な力関係をどう扱うか、文化的・人種的な謙虚さをどう深めるか、無意識の偏見をどう理解するか、自らの来歴をどう振り返るか――そうした問いに対して、好奇心を持って臨むことが大切である。
・意図的な関与は、患者、家族、地域社会との信頼構築への投資となる。
・言語的・非言語的な丁寧なコミュニケーションは、通常の診療行為にヒーリング効果をもたせる可能性がある。積極的傾聴を行い、患者と向き合う「現在」に心を留める。
・何よりも重要なのは「自己省察(Reflection)」である。謙虚さに根差した、勇気と脆弱さをともなう率直で防衛的でない自己省察の深さを体現している。経験から学ぶことは、人間性を育み、患者との関係性を構築するうえで極めて重要な意味をもつ。
・家庭医は、他者と自分自身の声に深く耳を傾ける能力を育む必要がある。特に、制度的人種差別や社会的逆境によって疎外されてきた患者を診る際にはその重要性が増す。そうした患者が受ける医療の質は、個々の医師がどれだけ耳を傾け、理解しようとするかに大きく左右される。
・診療所であれ、病院であれ、地域であれ、「文化的謙虚さ」「好奇心」「敬意ある対人関係的関与」「共感的理解」は、最適な関係中心のケア(relationship-centered care)の基盤をなす。
フェミニズムと家庭医療
・フェミニズムと家庭医療は切っても切り離せない。なぜなら、ジェンダーと権力は、人々が自分の身体、健康や病い、家族や友人の病気、そして医療制度との関わりをどう経験するかに深く関わっているからである。
・「フェミニズムと家庭医療」について語ることは、医療者が医療をどのように捉えているかという問いに向き合うことである。医師やその同僚は、患者の家族や関係性の文脈を意識しているだろうか。自らのジェンダーが目の前の患者にどのような影響を与えるか、またその逆も考慮しているだろうか。教育、専門的知識、収入、さらには人種、国籍、異性愛規範といった差異から生まれる権力格差に自覚的だろうか。
・フェミニズムは、こうした問題――家族、関係性、ジェンダー、権力――に取り組む助けとなる。これらは、家族や地域社会における健康と病いの概念だけでなく、医療のプロセスや癒しを理解するうえでも本質的である。
・家庭医は、経済的・社会的に不均衡な世界において、患者やその家族のために「正しいことを行う」ことを目指す。そこでは、人種、階級、民族、ジェンダー、性的アイデンティティの脆弱性の根底にある権力の格差が維持されている。家庭医は、すべての人が個人として、また家族や地域社会の一員として成長できるように支援しようと努力している。
Positive family medicine
・positive family medicine(ポジティブ家庭医療)というアプローチにより、家庭医はポジティブ心理学から借用した原則や手法を用いて、支援を必要とする患者を治療することができる。
・家庭医療の本質が関係性にあることから、家庭医は患者と治療的に関わる能力を磨く責務を負っている。多くの人はこの能力を「効果的なコミュニケーション」として分類し、臨床場面での行動を評価するためのチェックリストを作成する者もいる。
・しかしながら、家庭医療におけるコミュニケーション能力は、診察室における対人的振る舞いに注意を払うだけでは不十分である。家庭医療の実践――医師と患者がともに身を置く関係性の場――における熟達は、癒しのつながり(healing bonds)を、スピリチュアルな指針であると同時に”治療的な手段”として深く理解することを必要とする。
・このような熟達を築くために、すべての家庭医療の学習者(注:私たちは誰しも学び手である)に対して、ポジティブ心理学の原則を取り入れ、患者ケアに応用することが提案される。
・ポジティブ心理学は、従来の心理学や精神医学が主に扱ってきた負の感情や精神病理に加え、正の感情に焦点を当てている。そのうえで臨床実践に新たなアプローチを導入し、多くは実証的に裏づけられている。これにより、精神療法家や精神科医は自らの治療手段の幅を広げることができる。
・もちろん、家庭医療は精神疾患の患者に限定されるわけではない。だからこそポジティブ心理学の考え方を取り入れたポジティブ家庭医療を実践する際に、以下の5つのポジティブ原則を日々の臨床に統合することを提唱されている。
<①ポジティブな態度を保つ>
患者がいかなる制約を抱えていても、尊重される価値をもつ存在であり、病いに際して耐えうることを信じる。
<②ポジティブな戦略を用いる>
患者を自身の問題に取り組む対等なパートナーとして関与させ、提案を「未来への投資」として提示する。
<③ポジティブな言葉を話す>
過去の医療的・社会的背景にかかわらず、より健康的な未来を描けるような言葉やフレーズを用いて、患者を鼓舞する。
<④ポジティブな希望を示す>
患者の強みや美徳を肯定し、それに基づいた目標を共に描くよう励ます。
<⑤ポジティブな結果を思い描く>
患者が困難な現実の中にあっても、高い目標を掲げ、それに向かって健康的な行動をとれるよう導く。
・重要なのは、このようなポジティブ家庭医療の実践が、「幸福を処方する」ことを意味するのではない、という点である。
・それは、患者が健康へと向かって前進するための可能性を認識し、それに向けて導く姿勢を意図的に持つということである。
・ポジティブ家庭医療は、評価と楽観に満ちた姿勢から患者に働きかけ、協働と関与を促すような言葉と方法で患者に寄り添うことを私たちに求めている。
マインドフル・プラクティス(Mindful practice)
・マインドフル・プラクティス(mindful practice)とは、日々の診療において自分の内面(思考、身体感覚、感情)に意図的に注意を向けることであり、その目的は、明晰さ、洞察、効果、賢明さ、そして思いやりを高めることである。
・この世俗化された概念は、仏教の徳倫理に源を持つ。仏教倫理では、心のありようと「善きものを世界に促すこと」との関係が強調されている。「マインドフルネス(mindfulness)」という語のパーリ語における意味は「記憶すること」に近く、通常は「正念(right mindfulness)」と表現される。正念とは、実践を通じて、混乱と不確実性に満ちた臨床現場であっても「その瞬間に最も重要なこと」を的確に実践できるようになることである。
・臨床において特に重要なマインドフルな実践者(mindful practitioner)の4つの資質がある。
<①注意深い観察(attentive observation)>
私たちは「物事をあるがままに見る」のではなく、「自分が何者であるかによって物事を見る」傾向がある。このことを理解することで、私たちは自らのバイアスや感情的トリガーに気づき、立ち止まり、再調整する機会を得る。そうして初めて、世界をありのままに見ることが可能になる。
<②批判的な好奇心(critical curiosity)>
新たな情報や経験を求め、病気の背後にいる「人」に関心を寄せることである。これは特に、臨床家がストレスや不確実性、曖昧さ、予期しない困難に直面したときに重要である。
<③初心の心(beginner’s mind)>
見慣れた状況の中に新しさを見出し、複数の視点から物事を見る力であり、早合点を避ける姿勢を意味する。熟練者の心には可能性が少ないが、初心者の心には多くの可能性があるという言葉に表されるように、行き詰まりを感じたときや、成果が出ないとき、新たな視点が求められる場面で特に重要である。
<④プレゼンス(presence)>
目の前の仕事に没入し、患者・家族・同僚と「心を共有している」と感じられる状態を指す。このつながりは、個々の感情だけでなく、両者の間に生まれる空間にも存在する。
・マインドフル・プラクティスは、倫理的な態度を伴う実践である。それは、臨床実践における基盤となる価値観や資質を指し示す方向性であり、以下のような臨床態度が目的を持って育まれる。
・相手の話を「理解するために」聴く(ただ反応するためではなく)
・患者の健康を支える力を引き出し、支援する
・技術的に優れた行為を行う
・自らの誤りに気づき、対応する
・感情的に困難な状況や対立場面でも効果的にコミュニケーションをとる
・専門職としての義務が求められなくても思いやりある行動をとる
・自己のケアを大切にし、必要とされる他者に対応できる自分を保つ
・マインドフル・プラクティスは学ぶことができるし、育むこともできる。これには、内省的な実践(瞑想など)や、意味深く困難だった出来事に関するナラティブの共有と深い傾聴、強みに基づいた肯定的なアプローチが含まれる。たとえば、診察の前に数秒立ち止まり、呼吸を整え、その瞬間に湧き起こる思考、感情、身体感覚を意識し、どのような態度・技能を診察室に持ち込むか、あるいは一時的に脇に置くかを吟味する。このような実践は、診療者同士のプレゼンス、明瞭なコミュニケーション、連帯感を育み、バーンアウト、倫理的苦悩、孤立感を軽減する助けともなる。
家庭医療における倫理
・家庭医は、医療倫理を「問題解決のための枠組み」としてのみならず、「患者との関係性における在り方(way of being)」として捉える。
・医学的実践における倫理を理解する方法にはさまざまな視座がある。事例に基づく倫理判断、ケアの倫理、フェミニスト倫理、ナラティブ倫理、美徳倫理、ミクロな倫理的意思決定などがその例である。それでも多くの臨床医は、医学における主要な倫理的課題を議論し、問題が発生した際に対処するための指針として、いわゆる「四原則(Four Principles)」を使用している。
・この四原則とは以下のとおりである。
<①自律(Autonomy)>
他者に害を及ぼさない限り、個人は自身の身体と意思決定をコントロールする権利を有する。
<②無危害(Non-maleficence)>
害をなさないこと。
<③善行(Beneficence)>
善を行うこと。
<④公正(Justice)>
すべての人を公平に扱うこと。
・これらの原則は、倫理的配慮が必要な特定の問題に対しては有効である。しかし、家庭医療の文脈にはしばしば適合しにくい。なぜなら、家庭医療の目的は、関係に基づき、地域に焦点を当て、患者中心であり、かつ利用しやすく、包括的で、継続的、協調的、そして文脈に即したケアを提供することにあるからである。
・このため、家庭医療における倫理的判断は他の医学分野とは異なる。家庭医療における倫理とは、日常的かつ長期的に患者とともにある「実践の精神(ethos of practice)」であり、これは「慣習・習慣」を意味するギリシャ語の「ethos」に由来する。
・このような実践の倫理には、「5つのT」と呼ばれる思考と行動の習慣が含まれる。
<①時間(Time)を賢く使う>
家庭医療における多くの判断は即決する必要はなく、計画的に行うことで将来の対立を予防できる。
<②会話(Talk)のやりとりを通じて患者と家族に関与する>
重要な視点を伝え合うことで相互理解を深める。
<③機転(Tact)を利かせる>
患者を尊厳ある人間として見なし、認識する倫理的な選択を行う。
<④身体的接触(Touch)を治療的に用いる>
適切で思いやりのある身体診察を通じて共感を示す。
<⑤信頼(Trust)を育む>
日々の診療において、患者の訴えだけでなく、その背後にある病いの体験すべてに耳を傾けることで、時間をかけて少しずつ信頼関係を築いていく。
・家庭医療の学術的基盤を築いたひとりの医師は、自らの診療において4つの独自の倫理原則を提唱した。これらは、家庭医がどのように倫理を実践し、診療を構想するかを示している。およそ40年前に記されたものであるが、現在もなお意義深い。
<①親和性(Affinity)>
医師と患者との間にある特別な治療的つながり。
<②親密性(Intimacy)>
親和性が存在することで生まれる、率直な関係性。
<③相互性(Reciprocity)>
親密性から生まれる、相互的で双方向的な信頼感。
<④忠誠(Fidelity)>
「これからも、あなたと共にある」という継続的な関与への期待。
・これらの4つの原則は、機能的な治療関係の特徴を表すものであり、家庭医療における倫理的実践の核心をなしている。
公衆衛生/予防/集団
・公衆衛生に関する多くの概念は、医学教育と臨床ケアにとって不可欠である。家庭医は、すべての年代の個人、家族、地域社会、そして集団全体の健康を改善するために、公衆衛生的アプローチを用いる上で極めて適した立場にある。
・公衆衛生(public health)は、人々が健康でいられる条件を「確保する(assure)」ための法律、政策、制度・行政機関の規則、その他社会の多様な要素を含む広範な領域を指す。公衆衛生には、伝統的な疫学や生物統計学、プログラム計画、法律・政策、健康行動、環境保健、リスク評価など多くの専門分野が含まれる。
・集団の健康(population health)は、特定の個人群(たとえば診療パネルや医療機関のサービス提供地域)における健康アウトカムおよびそれらのアウトカムの分布に関心をもつ。これは、「医療システム、行政機関、組織が連携して、地域社会の健康アウトカムを向上させる機会」であると定義されている。
・地域の健康(community health)は、複数の部門・専門領域が協働する取り組みであり、公衆衛生の科学、エビデンスに基づく戦略、その他の手法を用いて、文化的に適切な形で地域住民と関わり、その人々が「住み、働き、活動する」地域における健康と生活の質を最適化することを目指す。つまり、集団・地域の健康実践とは、組織的あるいは地理・文化的に定義された集団に対して、公衆衛生の概念を応用する営みである。
・予防(prevention)は、リスク要因の回避や予防的介入を通じて行われ、一次、二次、三次のレベルに分類される。
・一次予防は、治療中心の医療機関が関与しない文脈、すなわち地域や家族のなかで行われることが多い。
・家庭医は以下の3つの接点に立って活動している。
- 健康の社会的決定要因、環境、リスク曝露によって影響を受ける「人々の暮らし」
- 人々が予防について行う意思決定
- 疾病や外傷が生じたときに人々が受ける医療
・家庭医は、健康に影響を与えるより広い要因――家庭、社会的支援、地域、人口、社会全体、環境、気候など――を常に視野に入れている。こうした各レベルにおいて格差が存在することで、健康アウトカムにおける不平等が生じ、それを是正しなければ「健康の正義(health justice)」は達成されない。
・この概念的枠組みは、公衆衛生における予防的アプローチの社会生態学的モデル(socio-ecological model)とよく一致している。家庭医は、このモデルの複数のレベルにおいて重要な役割を担うことができる。たとえば、政策決定への働きかけ、地域組織との協働による地域環境の改善、患者や家族の治療といった活動が挙げられる。
・家庭医は、スクリーニング検査、予防接種、ライフスタイルに関するカウンセリングといった予防ガイドラインを超えて、より広い健康の決定要因に目を向けて実践することができる。そして、社会生態学的枠組みにおける各レベルを意識しながら、公衆衛生的に疾病を予防し、健康を促進する実践を進めることができる。
家庭医療におけるinformation master
・臨床上の疑問に直面したとき、家庭医は患者の価値観や信念に照らし合わせながら、最も妥当で関連性の高いエビデンスを適用する。
・エビデンスに基づく医療(Evidence-Based Medicine:EBM)の基本的な枠組みは家庭医療にこそふさわしい。それは、患者の選好を臨床評価と最善の外部エビデンスとを統合する実践だからである。EBMの創始者の1人はこう述べている。「良い医師とは、個別の臨床的専門性と、最善の外部エビデンスの両方を活用できる医師である」。
・現在、医学文献は爆発的に増加しており、家庭医はこのなかでEBMを効果的に実践するために「情報マスター(information master)」になる必要がある。
・医学部教育では、診断、治療、経過観察に関する膨大で常に変化する知識に多くの時間が割かれている。しかし、これらの情報の多くは臨床でよく遭遇する問いとはかけ離れており、実際のエビデンスの強さとしては最も低い「専門家の意見」に依拠していることも少なくない。また、教育はしばしば「疾患指標(disease-oriented outcomes)」、すなわち血圧、GFR、HbA1cなどの代理マーカーに集中しがちである。
・しかし、こうした疾患指標は、患者や医師が本当に重視するアウトカムを的確に予測するとは限らない。たとえば高血圧治療では、「血圧を下げれば合併症が減る」という理屈から長年ドキサゾシン(α遮断薬)が使用されてきたが、実際には他の薬剤と比べて心血管イベントのリスクを増やすことが判明している。すなわち、「理屈では効きそう」でも、文献を批判的に吟味すると逆の結果が出ることは少なくない。
・そのため、家庭医療において真に重要なのは「患者にとって意味のあるアウトカム(patient-oriented outcomes that matter)」に焦点を当てたエビデンスである。これに基づいて実践する情報マスターは、「foraging(狩猟)」ツールを使って最新のエビデンスを継続的に収集し、「hunting(探索)」ツールを使って診療中の疑問に迅速に答える。
・情報マスターとしての家庭医は、臨床の現場で最も有効かつ関連性の高いエビデンスを、最小限の労力で探し出す技術を身につけている。
・家庭医は本質的に生涯学習者である。日々新しい知識と技能を身につけ、より良い医療を提供しようと努めている。情報マスターは、そうした姿勢を体現する存在であり、日常的に利用可能なツールを活用して、知識のアップデートと臨床判断の両立を実現している。家庭医は、臨床的専門性、最も信頼できるエビデンス、そして患者の価値観を融合させ、個々の患者にとって最善の医療を提供する立場にある。
臨床的勇気(Clinical courage)
・「臨床的勇気(clinical courage)」とは、特に地方で働く医師たちが用いる包括的な用語であり、家庭医や他の総合診療医が、資源に乏しい環境のなかで、知識、姿勢、技能、意図、関係性を総動員して患者の利益のために行動する力を表す。
・この概念は、家庭医が自身の通常の専門領域の境界を超えて診療を行うことを可能にする特性を指す。それは以下のような資質を含む:
・地域の誰にでも、あらゆる患者に対応する覚悟
・不確実性を受け入れ、予測不能な事態に備え続ける態度
・限られた文脈のなかで利用可能な資源を的確に理解し活用する能力
・自らの限界を謙虚に認識しようとする姿勢
・「何かをしなければならない」ときに、その決断に立ち向かう認知的覚悟
・必要なときに何度でも立ち上がるための同僚からの支援と連帯
・地方の家庭医は、地域の同僚や患者、遠隔地にいる専門医、そして自らが暮らす地域社会との関係性によって、この臨床的勇気を発揮し、持続している。
・この力を育むためには、地方の地域社会に長期に滞在し、そのなかで人間関係を築き、地域医療チームの一員として信頼されることが重要である。そのため、臨床的勇気を身につけたいと望む若い家庭医に対しては、「長期にわたる地方実習(preferably months on end)」を提供する教育プログラムへの参加が勧められる。
・また、教師や指導医の支援を受けながら、日々「不確実性を認識し、それと向き合いながら、行動・不作為の選択肢を吟味する」経験が求められる。指導者たちが自らの専門領域の境界においてどのように判断を下し、行動しているかを観察し、それによって生じる内省を理解することが鍵となる。
・効果的な地方の家庭医は、自分が利用できる地域資源を正確に把握し、それらを創造的・革新的に活用して患者に仕えることを心得ている。そうした現場では、家庭医が「自分の能力に確信を持てない状況」にしばしば直面する。しかし、それこそが学びの機会であり、患者、同僚、地域社会からの支援があってこそ、その不安のなかを乗り越えることができる。
・こうした経験は、資源の限られた環境で働く地方の家庭医にとって不可欠であり、また、地方医療以外の道を選ぶ者であっても、「臨床的勇気」という概念の意味を深く理解する手助けとなる。
・Clinical courageは地方の家庭医に特有のものかといわれれば、決してそうではない。すべての家庭医にこの資質を育むべきとされている。特に、地方・遠隔地・資源の乏しい現場は、医師が日々、自らの能力と自信の「限界のふち(edge)」で働くことを迫られる環境であり、こうした資質を育むには理想的な場である。
・Clinical courageとは、自分自身とその限界を知ることである。それは、利用可能な資源を把握し、同僚・患者・地域との関係性に支えられながら発揮されるものなのである。
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<参考文献>
・Ventres WB, Stone LA, Akhtar R, Ring JM, Candib LM, Messias E, Epstein RM, Tunzi M, Lee AL, Morley CP, Brown CM, Slawson D, Konkin J, Campbell DG, Couper I, Williams S, Brooks R, Walters L. Storylines of family medicine IV: perspectives on practice-lenses of appreciation. Fam Med Community Health. 2024 Apr 12;12(Suppl 3):e002791. doi: 10.1136/fmch-2024-002791. PMID: 38609092; PMCID: PMC11029283.