person-centered careのナレッジワークを検証:認識論的相互性と認識的不正義

はじめに

・慢性疾患とそのマネジメントは、現代の医療システムが直面する最大の課題であり、世界中の成人の3人に1人が複数の慢性疾患を抱えているとされる。

・その対応策として、患者が「人」として尊重されていると感じられるような、パーソン・センタード・アプローチが臨床ケアに求められてきた。

・しかし、医療者が患者の話を聴かないという問題は依然として根強い。こうした問題は、医療者が患者の専門性や質問、選好を軽視する体験と共に語られてきたが、その背景には、医療者が患者の病いに関するナレッジワークや証言を十分に理解できていないことがある

・ナレッジワークとは、日常的な仕事や活動の中で知識を探求・評価・活用し、場合によっては新たな知識を生み出す行為を指す。

・医療・社会科学の分野では、患者の声やナレッジワークを診療場面に取り入れる重要性が広く認識されてきた。

・特に慢性疾患を抱える人々は、自分のケアへの関与が不十分であると感じており、「聴くこと」「説明すること」「意思決定」といった側面への満足度も低いとされる。

・医療者が患者のナレッジを軽視することは、パーソン・センタード・ケアを阻害し、”認識的不正義(epistemic injustice)”を生み出す恐れがある。

認識的不正義(epistemic injustice)とは、ある個人や集団が「知識を持つ主体(知識主体:epistemic agent)」や「信頼できる語り手」として扱われず、またはその知識や経験が軽視・無視・歪曲される状況を指す。これは、社会的な権力関係や偏見によって生じる。

・Miranda Frickerの理論によれば、認識的不正義は、2つに分けられる。

・誰かの証言(語り、意見、経験)が、話し手の社会的属性(性別、年齢、人種、障害、社会的地位など)を理由に不当に信用されない状況を「証言的不正義(testimonial injustice)」という。

・社会全体や集団内に、ある経験や問題を適切に説明するための「理解の枠組み(解釈のリソース)」が欠けているために、当事者が自身の経験を理解・表現・共有できない状況を「解釈的不正義(hermeneutical injustice)」という。

・医療現場では、これら両方の不正義が報告されている。

・Bogaertは、認識論的不正義を是正するためには、患者の視点に注目することが不可欠であり、それがパーソン・センタード・ケアの発展につながると指摘している。

・本研究では、慢性疾患を持つ人々のナレッジワークに関する医療現場での体験を明らかにし、パーソン・センタードなプライマリ・ケアを強化するために必要な変化を探ることを目的とした。

Shared negotiation of knowledge(ナレッジの共有的交渉)

・本参考文献ではShared negotiation of knowledge(ナレッジの共有的交渉)というプロセスが明らかとなっている。これはつまり、患者と医師が互いのナレッジを活用しながら、患者の病い体験(illness)とケアプランについて共通理解を築いていく対話的なプロセスである。

・このプロセスには「幅広い探索(Broad exploration)」「省察的傾聴(Reflexive listening)」「相互的照会(Reciprocal enquiry)」の3要素で構成されていた。

①幅広い探索(Broad exploration)

幅広い探索(Broad exploration)とは、患者と医師が患者の健康問題に関連するさまざまな種類の情報を探し出し、特定する過程を指す。

・参考文献では以下のカッコ内に提示するようなケースを紹介している。『例えば、エマ(50代女性、内分泌疾患)は、体調不良時に2人の医師から対照的な対応を受けた経験を語った。一人の医師は血液検査の結果のみに着目し、検査を繰り返すだけだったのに対し、もう一人の医師はエマの疲労感、やつれた顔つき、症状の多様性に目を向け、内分泌専門医への紹介を決断した。このように、単一の情報だけでなく、複数の情報源を考慮することが”幅広い探索”の特徴である。また、患者自身が幅広い探索を行う例もあった。エバ(70代女性、呼吸器疾患)は、呼吸器の問題だけでなく、過度な睡眠や足のむくみといった複数の問題を関連づけて医師に伝える重要性を語った。こうした情報の積み重ねにより、患者は医師に自らの状況をより正確に伝えようとする。』

②省察的傾聴(Reflexive listening)

省察的傾聴(Reflexive listening)とは、医師が患者の話を聴き、同時に患者自身も自分の話を聴くことで、さらなる気づきや理解が生まれる過程である。

・参考文献では以下のカッコ内に提示するようなケースを紹介している。『ジェーン(70代女性、神経疾患・複数の慢性疾患)は、医師に聴いてもらうことが自分自身の気づきにつながると語った。話すことで自分の考えが「返ってきて」、小さな「ひらめき」が積み重なり、自分の長い病いの旅路を進めていくヒントになるという。また、アン(60代女性、呼吸器疾患・複数の慢性疾患)は、病気や状況を考える過程において、医師の関与が不可欠だと述べた。単に「家で考えてください」と言われるのではなく、医師とともに考え、病状や治療についてしっかり教えてほしいという欲求が語られた。ここから、傾聴は医師だけの行為ではなく、患者自身が自らの声や医師の説明に耳を傾けることも含まれることがわかる。』

③相互的照会(Reciprocal enquiry)

相互的照会(Reciprocal enquiry)とは、患者と医師が互いの視点を統合し、相互理解に基づいた今後のケアプランを共同で構築する過程である。

・参考文献では以下のカッコ内に提示するようなケースを紹介している。『ビクトリア(70代女性、呼吸器疾患・複数の慢性疾患)は、薬の減量を医師に提案した体験を語った。医師はただ受け入れるのではなく、「自分の体が薬をやめる準備ができていると感じたら」という条件を提示し、さらに、必要時に備えて別の薬を残すという妥協案を示した。これにより、患者の意向と医師の知識が統合された柔軟な計画が生まれた。一方で、相互的な探求が不十分だった例もあった。エミリー(60代女性、呼吸器疾患)は、医師から「入院しなければ死ぬ」と警告されたが、医師が自分を診察していないことや、その伝え方に納得できず、結果として医師の助言を受け入れなかった。また、ローナ(70代女性、内分泌疾患・複数の慢性疾患)は、夫が呼吸困難で入院した際、医師たちが患者本人に話を聞かず、勝手な前提(喫煙歴があると決めつけ)で議論を進めていたことを問題視した。患者が診療の場から排除されることで、誤った結論や診断が生まれるだけでなく、患者の存在自体が軽視されてしまう危険性が示された。』

認識的不正義を回避するために

・従来、良い医師は「良い聴き手」であるべきだと言われてきたが、本研究では、患者もまた医師の話を批判的に聴き、それに基づいて判断する存在であることが示された。

・つまり、医療者だけでなく、患者自身も「好奇心」と「探求心」を持って診療に関与できることが重要である。

・本研究で明らかになったように、患者と医師が協働して問題を理解し、治療方針を決める「認識論的相互性(epistemic reciprocity)」は、パーソン・センタード・ケアの中核要素であり、患者と医師双方のナレッジワークを通じて、患者の経験とニーズに関する新たな知識を共同で創出するものである。

・この概念は、認識的不正義を回避するための具体的な実践であり、社会的不平等がナレッジの評価に影響する構造的問題にも対処しうる視点を提供する

・また、認識論的相互性は共有意思決定(Shared Decision Making, SDM)とも関係するが、より焦点を絞り、知識統合や複雑性のマネジメントといった認識論的プロセスそのものに重点を置く点が特徴である。

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<参考文献>

・Dell'Olio M, Whybrow P, Reeve J. Examining the knowledge work of person-centred care: Towards epistemic reciprocity. Patient Educ Couns. 2023 Feb;107:107575. doi: 10.1016/j.pec.2022.107575. Epub 2022 Nov 21. PMID: 36442434.

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