苦しみ, 意味, 癒やし (Suffering, Meaning, Healing)
目次
Suffering, Meaning, Healing
・包括的な癒し(holistic healing)は「苦しみの超越という個人的な体験」として理解される。
・苦しみ(suffering)は、単なる痛み(pain)とは異なる、不快で根源的な体験であり、個人の存在が崩壊するという予感から生じるものである。
・これは、個人としての一体性が失われるという脅威が感じられる限り続き、その統合が何らかの形で回復するまで終わることはない。そのため、苦しみは肉体的な次元を超え、社会的、心理的、文化的、霊的な側面も含む多次元的な現象であり、こうした次元は従来の医学教育では十分に扱われていない。
・苦しみは個人的であり、その表現は個々に異なる。アナトール・ブロヤード(Anatole Broyard)は、「病気の最初の体験は、一連の断片的な衝撃として現れ、それをコントロールするために物語にまとめようとするのが本能だ」と述べている。
・一般に、物語は過去から現在に至る連続性と、将来に対する予見を含むが、病気はこの連続性を「破壊」する(Biographic disruption)。過去が予測していた現在と実際の現在が異なり、未来が不安に満ちているためである。
・苦しみは出来事に付与された意味から生じ、その意味が危機に陥ることで深まる。
・患者がかつて抱いていた意味が通用しなくなり、新たな意味を見出す必要が生じるからである。
・患者の苦しみはその個人的な物語として受け止められなければならない。
・もし患者の苦しみが否認されるならば、それはその人の存在自体が否認されるに等しい。
・ブロヤードは「私の病気は、典型的な医師にとっては日常的な出来事であるが、私にとっては人生の危機である」と述べ、医師がこのギャップを認識することの重要性を強調している。
・苦しみは、患者がこれまでの意味の構造を失ったときに生じる意味の空白を満たすものであり、医師(healer)はその空白を埋める新たな意味を患者と共に発見する役割を担う。
Sufferingの超越
・苦しみ(suffering)は、その一体性への脅威が取り除かれ、苦痛が軽減され、個人としての統合が回復されるときに解消される可能性がある。ただし、すべての苦しみが解消されるわけではなく、その一部は医学の力を超えたものである。それでも、苦しみは受容を通じて、世界との新たな結びつきを創り出し、その経験に意味を見出すことによって超越され得る。
・超越(transcendence)とは「通常の経験の限界を超えること」を意味し、病気やトラウマ、退行などによって引き起こされる変化に適応する過程である。
・これは、単に病気が治癒することとは異なり、治癒は必ずしも苦しみの超越を意味するわけではない。むしろ、苦しみの超越は、病気が治らなくても、健康が回復しなくても、あるいは死が迫っていても達成し得るものである。
・受容が苦しみの超越にどのように役立つのか?
・個人の一体性は、自身が人として定義し、人生に意味を与える要素への愛着(attatchment)から生まれる。
・この愛着が断たれると、一体性が崩れ、苦しみが生じる。
・しかし、断たれた愛着に対して、それを否定せず、追い求めもせず、その変化を受け入れることにより、苦しみは超越され得る。
・患者が病気に対する感情や反応を正常なものとして受け入れることも、受容を助ける手段となる。
・ブロヤードは、「病気によって身体に生じた変化に対し、患者が嫌悪感を抱くのは当然のことであり、革新的な医師はこの状況を再構築する方法を見つけられないだろうか」と問いかけている。
・医師(Healer)は、最も厳しい状況においても成長の機会を見出すことを患者に助ける存在である。
・実際、末期癌患者のかなりの割合がほとんど苦しみを感じないと報告しており、死が近づいているにもかかわらず平穏を保つ人々も存在する。
・苦しむ患者にとって、受容はしばしば病気に対する個人的なスタイルの形成につながる。
・ブロヤードは次のように述べている。「重篤な病気の人は皆、自分の病気に対するスタイルを発展させる必要がある。そのスタイルを堅持することによってのみ、病気が自分を縮小させたり、醜くさせたりするのを防ぐことができる」。
・これは新たなアイデンティティの創出であり、苦しみを超越するための重要な要素である。
・また、苦しみは意味を見出すことによっても超越される。
・苦しみは意味の欠如の中で生じるものであり、意味を発見することがその経験を変容させる。
・「苦しみは、それが意味を見出した瞬間に、ある種の形で苦しみでなくなる」とビクトール・フランクルは述べている。
HealingとConnections
・病気は人々を健康であった時の世界から切り離し、孤立させる。
・孤立感を緩和するために、医師(healer)は「治療の手段(therapeutic instrument)」となり、患者を再び健康な世界に結びつける役割を担う。
・患者が「理解され、受け入れられている」という感覚を持つことが、癒しにとって非常に重要である。
・治療的な接触は、共感(empathy)、温かさ、誠実さによって促進される関係であり、単なる知的な理解を超えたものである。
・患者と医師の間に形成されるこの「結びつき(connection)」は、単に身体的な治療を超えて、患者が経験する深い孤立感を和らげるものである。
・サッチマンとマシューズは、このような治療関係を「コネクショナル(connetional)」であり、超個人的(transpersonal)な次元を持つものと表現している。
・これは医師と患者が一体感を持つ瞬間であり、共に存在するという感覚を共有する関係である。
・「私は医師に多くを求めるわけではない。ただ、私の状況について5分ほど考え、私に全力で向き合い、私の魂と肉体を共に見つめ、私の病を理解してほしい。なぜなら、人はそれぞれ異なる方法で病に侵されるからだ」とブロヤードは述べている。
・このような深い関係性の中で、医師と患者は共に脆さを抱えることになるが、それが共通の人間性のもとでの癒しの絆を生む。
・共感は、このような治療的な絆を強化し、他者の苦しみを理解する能力を高める重要な要素である。
・共感とは、患者の痛みの一部を共にする意志を伴うものであり、これは癒しに不可欠な要素である。
・強固な治療的な絆から生まれる共感的理解は、医師が患者に新たな物語を作り出す手助けをし、患者が正常性を取り戻し、受容し、新たな意味を発見し、世界との新たな結びつきを見出すことを可能にするものである。
・癒しは過程であり、医師が治療者から援助者へ、問題解決者から支援者、共に歩む伴走者へと変容することを求めるものである。
HealingとNarrative
・癒しのプロセスは、しばしば物語を紡ぐプロセスでもある。
・これは患者の病気の物語を引き出し、その物語を再構築して癒しの物語へと導く作業を意味する。
・「物語は病気や痛みに対する抗体のようなものである」とブロヤードは述べている。
・この物語的な作業には、患者の病気経験の形式を理解し、物語を編集する技術が必要である。
・病気の物語は、崩壊(disruption)、省察、そして対応というプロセスを反映しており、患者の人生における幅広い真実を描き、感情的な核を伴う解釈可能なものでなければならない。また、それは語り手のスタイルに応じて語られる必要がある。
・医師(healer)は、患者が自身の物語を明かすための安全な環境を提供し、語りを奨励する必要がある。
・そのためには、医師は治そうとする意図を一旦脇に置き、自身の視点や価値観を一時的に保留し、患者の世界に偏見なく入ることが求められる。
・ブロヤードによれば、「患者が他者に最も求めているものは愛ではなく、その状況に対する批判的で理解のある評価である。これは今日、病気の文学において『共感的な目撃(empathetic witnessing)』として知られている概念である。
・患者は常に啓示の瀬戸際にあり、書記係(amanuensis)を必要としている」とされている。書記係とは、話された言葉を巧みに書き留めることのできる人物のことである。
・癒しの物語はどのようにして生み出されるのか?最終的にはこれは患者自身の仕事であり、患者自身の癒しである。
・しかし、医師(healer)は物語医学(narrative medicine)の技術に精通し、患者の物語に耳を傾け、病気の物語を患者の経験に根ざしたものにする役割を担っている。
・そのためには、患者中心のアプローチが不可欠であり、患者の物語に対する好奇心が求められる。
・好奇心は、患者が抱える懸念に直接応えるような「循環的な質問(circular questions)」を通じて最も効果的に表現される。
・ブロヤードも「医師は自ら話すだけでなく、患者から話を引き出すべきだ」と述べている。
・ブロヤードは、「技術は私から病気の親密さを奪い、それを科学の所有物に変えてしまう。だからこそ、医師が何らかの方法でその親密さを取り戻してほしい」と述べている。
・患者が自身の病気を所有する感覚を取り戻すには、医学的な「疾患(disease)」の物語を患者の「病気(illness)」の物語に結びつけることが重要である。
・患者が癒しの物語を創り出すには、これら二つの物語が統合される必要がある。
・患者の経験を引き出し、それに意味を付与することにより、医師(healer)は患者が崩壊から省察、そして新たな物語へと進む手助けをすることができる。
・医療におけるあらゆる場面が、患者が癒されるためのきっかけとなり得る。
・例えば、長年の診断がつかない進行性の症状に苦しむ患者が、ついに多発性硬化症と診断された際に「もう自分が狂っているわけではないとわかった」と涙を流して喜ぶ場面があるように、診断自体が患者にとって癒しの一歩となることもある。
・ブロヤードは、「医師は物語の語り手であり、私たちの人生を良い物語にも悪い物語にも変えることができる」と述べており、このような物語の力が患者の癒しにとって重要であることを示している。
未来への回帰(Back to the future)
・医療がポストモダンの時代に進化するにつれ、慢性疾患を抱える患者が増加する中で、その管理に必要な臨床スキルがますます重要になっている。
・急性期治療や専門分化した治療モデルは、慢性疾患患者のニーズに対しては十分でなく、癒しには長期的な関係性が必要である。
・こうした関係性は、患者が病気の意味を探求し、それを受け入れるための親密な絆を育むものである。
・家庭医療の将来像として提唱されている「メディカルホーム(medical home)」は、「患者中心のケア」や「全人的な視点(whole-person orientation)」を強調しているが、これが実現するには、患者が苦しみを超える手助けができる熟練した医師(healer)が必要である。
・医師(healer)は、苦しみを診断し、その起源を探るために以下の手法を用いるべきである
① 患者への直接的な質問
② 苦しみの兆候や表情を感じ取る能力
③ 苦しみに閉じこもってしまった患者との断絶を感じ取る感受性
④ 共感的な識別(empathic identification)
・これらのプロセスは、医師自身の主観的な経験に大きく依存しており、医師(healer)はある種「奇妙な道具」として機能する存在である。
・また、医師は患者との密接な対人関係における共有された脆弱性に対処するために、自己認識(self-awareness)を高める必要がある。
・これは、患者の経験を正確に理解し、それを肯定的に受け止めるための重要な要素である。自らの感情や見解が患者への理解を曇らせることを避けることにより、医師は患者の苦しみを真に目撃することができる。
・これにより、治療関係における有害な逆転移(countertransference)を管理することが可能となる。
・治療者から伴走者への変容は、医師が患者と「何をするか」だけでなく、「どのようにあるか」にも注意を払うことを求める。
・共感的な結びつきは単なる関係性の属性ではなく、実際に生理学的な影響をもたらすものである。
・慢性疾患患者とその家族は、しばしば「再活性化(remoralization)」を必要としており、医師(healer)はその触媒としての役割を果たすことが求められる。
・現代の医療制度が産業化する中で、医師が真の意味で患者と癒しの関係を築くことができるかは疑問である。これは、おそらく現代医療が直面する最大の課題であり、その本質にかかわる根本的な問題である。
・医療が単なるサービス業にとどまるのか、それとも全人的な癒しを提供する職業であり続けるのか。
・もし医療が癒しを重視するならば、それは現在のシステムとは異なる形で設計されるべきであり、少なくとも以下の要素が求められる。
- アクセスと継続的なケアの確保
- 訪問診療の充実
- 患者との対話に時間をかけることへの適切な報酬
- メンタルヘルスへの支援の充実
・これまでに述べてきたような「癒し」は、決して新しい概念ではない。
・古代ギリシャのヒポクラテスは「どのような病気を持つかよりも、どのような人がその病気を持っているかを知ることが重要である」と述べ、オスラーは「患者その人を大切にすること」が医療の本質であると強調している。さらに、ペボディは「患者のケアの秘密は、患者への思いやりにある」と述べている。これらの医療の古典的な知見は、現代においてもその価値を失っていない。
・かつて医師は、科学や技術に頼ることなく、その個性や人間性によって患者を癒していた。
・バイオメディスンの成功により、現代の医師は再び患者と個人的に結びつく必要がある。
・ブロヤードは「母親が子をこの世に送り出すように、医師は患者を健康な世界から病の世界へと導く案内役である」と述べている。もし医師が患者の病気の旅に同行しないならば、その患者を孤立させることになりかねない。
・最終的に、医師が「癒し手(healer)」としての役割を育むことは、慢性疾患を抱える患者のみならず、医師自身の燃え尽き症候群を防ぎ、医療という職業に再び畏敬の念と神秘性を取り戻すことにもつながるだろう。
・ブロヤードは次のように述べている。「すべての患者が救われるわけではないが、その病気がどのように対応されるかによって、医師自身もまた救われるかもしれない。患者と対話することによって、医師は再び自分の仕事に対するアタッチメントを取り戻すことができる」。
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<参考文献>
・Egnew TR. Suffering, meaning, and healing: challenges of contemporary medicine. Ann Fam Med. 2009 Mar-Apr;7(2):170-5. doi: 10.1370/afm.943. PMID: 19273873; PMCID: PMC2653974.