受診理由とSymptom diagnosis-MUSとの対照性
医師と患者の出会いの理由
・家庭医療(family medicine: FM)における診療は、通常、患者が1つまたは複数の「受診理由(reason for encounter: RfE)」をもって来院することから始まる。このRfEは、症状(例:「頭痛」)や、すでに診断された疾患(例:「糖尿病」)、あるいは処方・助言・紹介といった介入への要請という形をとることもある。
・家庭医(family doctor: FD)は、その受診理由をもとに最も可能性の高い診断を立て、それに応じた介入(経過観察を含む)を実施する。このような診療の流れは、国際的に広く受け入れられており、標準的な方法とされている。
・しかし、実際には、これらすべての要素が患者の診療記録に記載されているとは限らない。ICPC(International Classification of Primary Care)は、患者の受診理由・医師の診断・実施された介入を単一の分類体系で記録することを可能にし、診療記録の整合性を高める実用的なツールである。
・ICPCでは、まだ明確な疾患診断が確定していない場合、症状自体を診断ラベルとして用いることが推奨されている。また、患者自身が疾患名を用いて受診理由を述べる(例:「片頭痛で来ました」)場合には、その病名を受診理由として記録することもできる。
・このように、疾患診断に至らないが特定の症状があるという場合には、「症状診断(symptom diagnosis)」を用いることが、診断ラベルとしての正確性を高める。これは診療の質の向上だけでなく、疫学研究においても大きな利点となる。
・実際、受診理由(RfE)をICPCで記録・分類することで、一次診療データの質が向上することが、Solerらによる最近の研究でも実証されている。
・直接的なケアの場面において、FDが適切な医療を提供するためには、患者がなぜ受診したのか、何を期待しているのかが明らかである必要がある。
Symptom diagnosis
・家庭医療(family medicine: FM)の本質的な特徴の一つは、「症状診断(symptom diagnosis)」という分類カテゴリーの存在であり、これはICPC(International Classification of Primary Care)に明確に反映されている。
・家庭医(family doctor: FD)は、診断上の不確実性が高い段階、すなわち健康問題のごく初期段階で患者と対峙することが多いため、診断ラベルとして最も適切なのが、提示された症状そのものであるという状況がしばしば生じる。
・たとえば、患者が新たに「胃痛」を訴えて来院した場合、FDは「胆石発作」「胃炎」「消化性潰瘍」などのより特定的な疾患名を用いるのではなく、「胃痛」という症状診断でとどめておく方が、診断の正確性という点で優れている場合がある。さらなる検査や経過観察を行う前に、性急に病名を付けることは避けるべきである。
・このように、適切な場面で症状診断を用いることにより、診断の確実性とラベルの精度がともに向上する。逆に、診断基準を満たさないにもかかわらず疾患名を用いることは、科学的でないと批判される可能性があり、少なくとも疫学的には不正確である。症状診断の活用は、診断の過剰な一般化や過度なラベリングを避け、疾病分類の「純度」を保つことに寄与する。
・ICPCにおける症状診断のカテゴリーは、患者が受診する動機となる多様な関心や問題を包含しており、たとえば:
・疾患に対する不安(例:癌、性感染症)
・特定の機能が遂行できないという問題(例:仕事ができない、眠れない)
・「病気」と診断されるには至らないが、明確な困難や苦痛
といった訴えが分類可能である。
・ICPCでは、患者の気分や感情(例:緊張、不安、悲しみ)を表すための分類コードも用意されており、また人々が直面する社会的問題を記録するための29のコードも存在する。
医学的に説明できない症状と身体化(MUSとSomatization)
・「医学的に説明できない症状(medically unexplained symptoms: MUS)」に関しては、実に多くの文献が存在する。MUSという概念の根底には、「特定の疾患に帰属させることのできない身体的訴えを、長期にわたって呈する患者群が一定数存在する」という仮定がある。この仮定から、そうした患者の多くは、心理的・社会的・精神医学的問題を背景に有しているという仮説が導き出されている。
・20世紀においては、こうした現象は「身体化(somatization)」と呼ばれており、重症例は「身体化障害(somatization disorder)」と診断された。
・近年、この身体化の議論はMUSという新たな名称のもとで復活しており、根底にある観察や論理構造は以前と大きく変わっていない。
・MUSに関する研究は、幅広い専門的意見や、未解決の疑問、そして医師や患者の双方に対する批判を生み出してきた。そもそもMUSという概念自体が曖昧であることは文献からも明らかである。多くの論文では、「MUSは一次・二次診療の両方にとって重大な課題である」と主張されるが、実際の有病率は論文によって大きく異なる。たとえば以下のような表現が見られる:
・「重要な割合を占める」
・「多数」
・「よくある(common)」
・「平均で13%」「16.1%」「10–20%」「およそ1/3」「20–50%」「25–75%」など
・このように、定義があいまいであるにもかかわらず、MUSが「存在する」という点については多くの専門家が同意している。実際、World Organization of Family Doctors(WONCA)のワークショップでは、参加者の約半数(48%)が「MUSにおける最も重要な問題は、明確な定義が存在しないことである」と回答している。
・さらに、MUSは「非MUS」との境界があいまいであるだけでなく、他の症候群(例:CFS、うつ病、不安障害)との区別も不明瞭である。AronとBuchwaldは、「MUSの診断は、主観的症状に大きく依存しており、客観的な臨床所見や検査結果が乏しい」と指摘している。またSmithとDwamenaは、「MUSの重症例を見つけるには、器質的疾患を除外するための検査が必要」と述べている。
・つまり、MUSの提唱者たちは、「医学では定義・分類できないすべてのものの集合」としてMUSを正当化しており、患者が自覚する症状の主観性こそが、医学的な不確実性の根源であると見なしている。
・皮肉なことに、MUSという概念は、診断の不確実性を減少させるどころか、むしろ強調してしまっている。多くの論文は、MUSが初診時に見逃されるリスクがあることを指摘しており、例えば「身体化障害(somatization disorder)の見逃し率と同様」とも記述されている。また、医師は「検査をやりすぎる」と批判される一方、「客観的評価を欠いている」とも批判される。
・こうした混乱の多くは、本来分けて扱うべき異質な問題を、安易に「MUS」という1つのカテゴリに押し込めてしまったことに起因すると考えられる。つまり、健康問題を「身体的(non-MUS)」と「非身体的(MUS)」に二分する考え方は、16世紀以来の旧弊な概念であり、現代における医療の複雑性や不確実性を反映していない。
・現実の世界には、心身の二元論(mind–body dualism)は存在しない。したがって、MUSという診断は、現代医学が直面する複雑性や不確実性に対応しておらず、生物心理社会モデル(biopsychosocial model)にも合致しない。それゆえ、MUSはWONCAによって定義される家庭医の包括的アプローチとも矛盾する。
・初診の段階で、「この症状には医学的説明ができない」と断定することは通常不可能である。
・MUSという概念は、症状に共通の潜在要因があると仮定しているが、それ自体が医師中心的(doctor-centered)な発想である。「すべての症状は医学によって説明されるべきだ」という暗黙の前提に立っており、医学的な説明がなければ患者の苦しみを正当化できないという価値観に基づいている。
・結論として、症状はそのまま受け止めるべきであり、それが「身体的」「心理的」「社会的」といった枠に無理に当てはめられるべきではない。要するに、「MUS」という診断を用いる科学的根拠は存在せず、それを使うことで「症状診断」がよりよく説明されることもない。たとえば「胸やけ」という症状を、「医学的に説明できない胸やけ(medically unexplained heartburn)」とラベリングしても、その定義や説明が強化されるわけではない。むしろMUSというラベルでまとめることで、症状の多様性や個別性が損なわれてしまう。
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<参考文献>
・Soler JK, Okkes I. Reasons for encounter and symptom diagnoses: a superior description of patients' problems in contrast to medically unexplained symptoms (MUS). Fam Pract. 2012 Jun;29(3):272-82. doi: 10.1093/fampra/cmr101. Epub 2012 Feb 3. PMID: 22308181.